黄門様ゆかりの地 ― 2020/09/21 07:49
東京に50年以上住んでいるのに初めて来た。野球場は何度もあるけどね...。
小石川後楽園、黄門様の水戸徳川家の庭園ですね。黄門様の光圀公の父親の初代水戸藩主徳川頼房公が造り、黄門様の代に完成したそうです。そういった歴史もよく知らなかった...。
西門を入ると、木々が生い茂り、門の外とまったく違った世界が広がってました。風情がありますねぇ。
特別史跡で特別名勝の両方に指定されているのは、ここ小石川後楽園と浜離宮恩賜庭園、金閣寺など限られているそうです。それも知らなかった...。ちなみに、入場料は大人300円でした。
サービスセンターを抜けて園内に入ると、都会のど真ん中にこんな緑が豊富な場所があったのねと思わせる世界が広がります、ちょっと、タイムスリップしたような気分。芝生も、木々も綺麗に手入れされていました(当たり前か)。空と同化しちゃってますが東京ドームの屋根や高層ビルが林の向こう側に見えなければ、自分がどこにいるかわからなくなりますね。
松と枝垂桜、春に訪れたら綺麗だったでしょうね...そういえば、入り口で今、見ごろの花とかありますかって聞いたら、残念ながらって答えが...でも、緑が綺麗で気持ちの良い空間でした。
庭園内には、たくさんの史跡が残されています。ここは、頼房公の時代に、西行法師の木像を安置したお堂があった場所です。右の石碑は、水戸の九台藩主斉昭公の奥様が建てられたそうです。ちなみに、お堂は、戦災で消失してしまったそうです。
庭園の真ん中には琵琶湖を表現した大泉水という池があります。底に流れ込む小川の流れ。なんかいい感じです。
これが大泉水、蓬莱島と名づけられた中島が浮かんでいます。島には弁財天を祀った祠、島の先端には徳大寺石と名づけられた大きな石が設置されています。中国の神山思想を表した島なんだそうです。
庭園内には龍田川と名づけられた小川も流れています。いろいろと贅沢な趣向が施された庭園ですよね。
延段と名づけられた切石と玉石を組み合わせた森の中の小道。風情はあるし森林浴できるね。
白雲台跡。ここから、赤城山脈、妙義山、榛名山まで見ることができたそうです。
緑溢れる庭園内、気持ちがいいです。
庭園のちょうど真ん中くらいにある松原。当時は数百本の松で空も見えないほどだったそうです。
白糸の滝、六代藩主治保公の時代に作られた滝。水の流れが千条の白糸が垂れているように見えることから名前がつけられたそうです。この眺め、いいですね。
九八屋と名づけられた小屋。名前は「酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし」から来ているそうです。
稲田にはお米が実っていました。案山子が黄門様っていうところがカワイイですね。
庭園には小さな山(丘?)がいくつかあり。こんな感じで、石の階段が作られていました。上からの景色もいい感じです。
山の上には八卦堂の跡。光圀公が三大将軍の家光公から頂いた文昌星像を安置したお堂跡です。お堂は関東大震災のときに焼失してしまったそうです。
この庭園、光圀公の時代に、明の朱瞬水という儒教学者に庭園の造作についての意見を頂いて造ったものがたくさんあります。
円月橋、水面に映る形が満月のように見えることから名づけられたそうです。朱瞬水さんの意見が取り入れられていることで中国の影響を受けたものがあり、これもそのひとつです。
近江大津の「唐崎の一つ松」を模した松。光圀公が大事にされていたそうです。
小廬山と蓮。夏の頃だったら、蓮の花が綺麗だったでしょうね...。このあたり一帯を京都東山に見立てているそうです。
屏風岩。
京都清水寺を模した観音堂があったそうです。これも関東大震災で焼失したそうです。
得仁堂、光圀公がこの庭園内で初めて建てたもの、かつ、当時のまま残っている唯一の建物です。
通天橋です。緑の中の赤い橋、映えますね。
これだけの庭園を管理する財力があったってことですよね。それにしても徳川家凄いな...。
この石垣、江戸城外堀外壁跡から出土した石材を再利用してつくられているそうです。黄色の丸の中には、石垣を築いた大名を表す刻印が刻まれていて、楕円の中には石を切り出したときの石割の矢穴が残っています。
歴史を感じつつ、リラックスできるよい空間でした。