なつかしの学び舎2016/04/02 07:05

 久しぶりに母校に行ってきました。卒業から約30年、以前に来たのは5年前か...この日は、同期との同窓会でした。
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 休日のキャンパスは静かです。
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 30数年前、この校舎の玄関前に合格番号が貼り出されてたんですよね。学部の表札がカッコいい。ここで、4年間勉強してました。
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 研究室前の廊下。研究室に入らないロッカーや荷物が置かれてます。当時はもう少し広く感じたのですが、思いのほか狭かったですね。
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 自分の所属していた研究室。窓側の奥の机に座ってました。4年次はほぼ毎日、朝から晩までここで実験と勉強をしてました、今より、よっぽど働いていたかも...。研究室にサマーベッドや、寝袋やら置いてあって泊り込みも何度もしました。卒論発表前は、それも足りなくて、椅子を並べてその上で寝てたなぁ...。
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 当時は、この研究室が生活の拠点だった、家にいる時間より明らかに、ここにいる時間のほうが長かったもんなぁ...。研究室の教授のお話では、今の学生さんは、この部屋を生活の拠点にする生徒はほとんどいなくて、実験が終わるとさっさと帰ってしまうし、休みの日に顔を出す生徒もほとんどいないそうです。会社も同じですが、時代が変わったってことですね。
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 自分の卒論は、「ヒキガエル精子の先体反応における、Ca(カルシウム)イオンによるタンパク質分解酵素の活性化」ってものなんですけど、何のことかよくわかりませんね...。受精時に、精子の核を卵の中に入れるために卵子の膜に穴を開けるのですが、そのとき、卵子の膜に穴を開ける酵素がCa(カルシウム)イオンによって活性化されることを証明するっていう実験でした。
 今ぐらいの時期、夜中に、大学の近くの公園の池に、オスのヒキガエルを採集するところから実験が始まります。結局、一年できちんとした結果は、得られなかったんですけどね...。当時はワープロや、パソコンもなかったので、論文は手書きだったし、グラフはロットリングペンとテンプレートで作図してました。卒論の発表会のときのスライドはポジフィルムでしたね。
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 研究室は30年前と同じでしたが、設備はやっぱり変わってました。実験で蒸留水を使用するのですが、買うと高いので、研究室内に蒸留水の製造器が設置されてました。水を熱して出てきた水蒸気を冷まして蒸留水を作るという器具なのですが、天井まで届く巨大なタワーのような機器でした。写真の黒い後が付いているところまでが、機器が設置されていた場所ってことですね。今は、下のポリボトルの横に置かれている小さな機械で作っているそうです。
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 でも、こんなものもまだ使われてました。サントリー角瓶の空き瓶ですね。学生のころは、お酒も飲んでました。「ビールは、麦のジュース」って教授に教えられましたからね...。
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 飲んだといえば、当時は学生用の6畳くらいの控え室があって、そこで、毎日のように飲んでましたね。それがあまりに騒がしかったらしく、自分たちが2年生のときに機器室に変わってしまいました。名目は、場所がないからってことだったのですが、絶対に自分たちが騒がしかったからだと思う...。
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 必須授業の実験を行ってた実習室。控え室がなくなってからは、ここが、たまり場でしたね。
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 昔はメールなんかなかったので、学校からのお知らせはこの掲示板が頼りでした。一番の思いでは、半期ごとに貼り出される学費のお知らせ。当時の在学生で一番古い8年生は、自分たちの半分以下だったことかな。自分たちの金額も高くはなかったですが、8年生は、半期分が一ヶ月のバイト代より安かったですからね...。
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 校舎の見学のあとは、同期で楽しいお食事会...という名の飲み会。場所は、学校正門正面のレストラン。当時、自分はあまりお金を持ってなくて、学食の190円カレーが主食だったので、ここでの食事はたまにする贅沢のひとつでした。
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 お店の名前の付いた丼、当時の味を思い出しました。今食べてもおいしかったですね。
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 ということで、同期と楽しい時間をすごせました。お酒はやっぱり楽しく飲まないとね~。